6月23日(月)2014年
20th June 2014 ハイビスカス会員 片山逸雄
この紀行文のツアーはすでに、6月17日付けの「ハイビスカスの美食ツアーに参加して」に掲載されています。
併せてお読みください。そして、この一文が蛇足にならないよう願うばかりです。
私はイポーに居るときは、毎月ハイビスカスの日帰り美食ツアーに参加しています。自分では行けない所に連れて行ってもらえるから、楽しみにしているのです。
先月は、“ロストワールド”に隣接するリゾートホテルを見学しました。詳細は5月12日付けで中田さんが述べられています。グロリアさんの顔?でサンウェイ社から昼食の接待を受けるお得なツアーでした。
ここには日本軍が造った洞穴温泉があり、その岩壁の一部に70年前の彼らの落書きが残っていると聞き、私はわざわざ見学コースを外れてまでして、この墨書を見てきました。私が生まれた頃のことでもあり、私のまわりに父親が戦死した友達が沢山いるから、感慨を覚えます。
私は、前もって下調べをしておいた方がよいと思いながら、いつも予備知識がないまま美食ツアーに参加してしまいます。しかし、今月のツアーは有機農園に行き自然食を御馳走になる、美食ツアーならぬエコツアーであり、そのあとオランアスリの村を訪ねるのだと承知していました。日本で有機農法が話題になったのは随分前で、今でも私たちの生き方や食生活のあり方に一石を投じていることは誰れもが認めるところです。
マレーシアにもそのような農園があり、エコツアーができるのだと知りましたが、エコ活動の実情はある程度想像できますので、正直、私の関心事はオランアスリの方にありました。キャメロンハイランドに行ったとき、道路沿いにオランアスリの土産物屋が並んでいて、家屋もあったりしたので、私はオランアスリを訪ねたいと思っていました。近年は観光事業としてオランアスリのツーリズムも行われていると聞きます。とはいえオランアスリと触れあえるチャンスがそうあるわけではないので、私は単なる美食ツアー以上の期待を持って今回のツアーに参加しました。
車に乗り込むと、早速、私はグロリアさんに「農園はどこにあるのですか?」と尋ね、「カンパですよ」との返事をいただくと、持参の地図で農園の場所をチェックしました。kampar県はイポー市の所在するkinta県の南隣りで、キャメロンハイランドの西側のふもとに当たり、kamparの街は国道1号線沿いにイポーから南約40km付近にあると見てとりました。そのとき、たしかにバスは見覚えのある1号線を走っていました。
ところがkamparの街より10km程手前で東に左折し、どんどん森林の中の田舎道(A119号線?)を進みます。
そして、突然高速道路の下をくぐり、しばらくするとあっけなく目的の農園に着いたのです。
後で知ったのですが、この場所はKampung Sg.Genting,Perakでした。入口の農園の看板に
“Green Wish Vegi Garden” www.gwvegigarden.wordpress.com と表示されています。私は、帰宅後にこの農園のホームページを開き、遅まきながら農園とその活動を詳しく知りました。
農園主のケニーさんが私たちを迎えてくれ、最初にフルーツを振る舞ってくれました。私はドリアンに似たローニリアン?と称する珍しい果物を、初めて賞味しました。ドリアンより癖のないクリーミーで食べやすいものでした。そして、冷やすとアイスクリームのようになるとの説明を受け、土産に買って帰りました。
先日これを冷蔵庫から取り出し、スプーンを使って友人と食べました。いやあ、珍味です。市販さているのではと探した結果、いま市場に出ているDulian Belanda ( 英語名Sour Sop)やNonaと称するフルーツが同じ風味です。一度お試しください。熟すと黄色ずき黒ずみ、柔らかくなります。
その後、ケニーさんが広さ約120m四方のご自分の農園を案内され、運営方針などを説明されました。一見、自家農業の農家とかわりません。ビニールハウスが数か所あるのですが、現在作物を量産している雰囲気はありません。週の5日間、1日当たり4時間働けば、自分のつくった作物は自分のものになるとのことでしたし、働く人の寝泊りする建屋もあるのですが、今はだれも働いていませんでした。作物は数か所で実っていましたが、雑草と共存していました。有機農法だから当然かもしれません。
私は農業を知らないので、誤解しているかもしれません。ケニーさんは7年前から有機農園を経営され、エコツアーを実施してこられたようです。ホームページの記述と現場を重ね合わせますと、ケニーさんご夫妻が奮闘されてきた様子が鮮明に浮かびます。この日は猛烈な暑さと湿気の中での見学でした。
少しバテたところで、昼食をいただくことになりました。今回の美食は奥様リー・メイさんの手作り自然食です。
健康食そのもので、マレー料理としては口にやさしい味でした。このシーンは前述の記事の添付写真にあります。
一息ついたところで、期待のオランアスリ訪問です。農園を出発するとき農園の位置から察して、私はキャメロンハイランドの方の山中にオランアスリを訪ねるのだと思っていました。ところが、訪問先は農園から歩いても10分ぐらいのA119号線?の道沿いでした。上がり込んだ部屋から、ハイウェイを行き来する車が真近かに見えるロケーションで、意外でした。周りには、数軒の茅葺高床式バンブーハウスが点在しています。と言うことは、農園自体がオランアスリの居留地村の中あったのです。オランアスリのおばあさんが、この高床式の自宅に私たちを招き入れてくれました。名前を聞くのを忘れたため“おばあさん”と記述しましたが、私より若そうです。ケニーさんは「オランアスリは大昔アフリカから渡ってきたと推察される、髪がちじれているのが証拠だ」と説明していました。
「彼女の髪はちじれているでしょう」と、そのとき指摘しました。私たちは部屋のあちらこちらを見て回り、見学者20人が彼女とケニーさん、そしてグロリアさんと向かい合うように座りました。床は、割った竹を隙間を設けて敷き詰めたもので、風通し良く作られています。伝統的な家具は見当たりません。グロリアさんの通訳で彼女に質問することになり、いろいろやり取りした結果、私が分かったのは、彼女は63歳で子どもは6人、孫が25人、ひ孫が19人いる。夫は祈祷師?で族長だったが7年前に亡くなった。学校に行ったことがなく、見合い結婚だった。種族には伝統的な民族衣装や民族舞踊があり、彼女も踊れる。グロリアさん、合ってるかなあ? オランアスリはアニミズム信仰であるためマレーシアのどの民族とも宗教的壁がない。したがって、子供や孫の結婚相手は多民族にわたり、彼女の親族は国際的なのだと。ここに及んで、私はオランアスリの伝統文化を保存する政策がどうなっているのか気になってきました。全土で、3系統18種族からなるオランアスリは10万人程度しかいません。彼女の属する大きい部族であるセノイ族ですら、すでにマレー人への同化策であるブミプトラを
受け入れており、国際的である彼女の家族にオランアスリの文化を継承する人がいるのだろうか?
私は帰路のバスの中までこの問題を引きずってしまい、眠気に逆らいながら、“有機農園もオランアスリンも無くしてはならない”ことはハッキリしている。しかし、今日見学したところ、どちらも“行く末が気になる”。
ではどうすればいいんだ。と、頭の中で葛藤しているうち、ふと、「あのおばあちゃんはニホンを知っているのかなあ」、質問するんだったと意識が変わり、ウトウトしてしまいました。